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開催にあてて  


釣りを始めて15年、ルアーを作り始めて8年が経ちました。
その間、海外まで釣りに行ったり、変わった釣り人に会ったり、水辺と工房を行き来してルアーを削ったり、とにかく魚釣りを中心に生活が回ってきました。

まだ釣りを始めて間もないころの話です。
中学1年生だった私は、週末に友達と釣りに行く約束をしました。
わくわくしながら迎えた当日の朝。
閉じたままのカーテンの向こうで、強い雨と風が吹きつけているのが分かりました。
台風が近付いていました。

今日は中止か。
あきらめの気持ちでいましたが、ありがたい事に友達のお母さんが車で連れて行ってくれる事になりました。

しかし。
そもそも通学用の簡易カッパで釣りをするような天気ではありませんでした。
足元はぐちょぐちょ、袖口からは雨粒が伝ってダラダラと入ってきます。
途中からはじんわりと全体に湿ってきて、ほとんどカッパの意味を成さなくなっていました。

しかも釣れません。
そりゃそうです。
どろどろに濁って増水した川を前に、何をどうしろというのでしょう。
やっぱり今日は釣りに行く日じゃなかった。もう帰ろう。

今でもそうですが、どれだけ釣れなくても「最後にもう1か所だけ」と言ってずるずる釣り続けてしまうのが釣り人の性です。
その性は裏目に出ることがほとんどです。
しかし、時として想像以上の出来事を引き起こしてくれます。

私が40センチを超えるブラックバスを釣ったのは、この台風の日が初めてでした。

私が好きな本のひとつに「センス・オブ・ワンダー」があります。
アメリカの海洋生物学者だったレイチェルカーソンが書いた本です。
その本のなかで、センス・オブ・ワンダーという言葉は「神秘さや不思議さに目を見はる感性」と訳されます。

言い換えることが許されるなら、それは自分がスキップしてきたものにフォーカスする力でもあるように思います。

昨日と今日が変わらないという人は「毎日、家と会社の往復です」と言います。
昨日と今日がまるで違うという人は、家と会社の往復の「合間に起こったこと」を話します。
両者の通る道に大きな差があるわけではありません。
目の前を通り過ぎる何かを、不思議なものとして引っ掛ける事ができるか否かの違いです。
「センス・オブ・ワンダー」はそういう感性がとても大切だと教えてくれた本です。

結果的に、私にとっては魚釣りがそういう感性を培う場となりました。
あの台風の日、魚が釣れたという興奮の陰に隠れて、小さな驚きがいくつもありました。

水が濁ると魚体が白くなること。
台風の日に魚が避難する場所があること。
大きい魚が手で押さえられないほど暴れることを体験したのも、思えばこの日が初めてでした。

ルアー作りを仕事にしてからは、不思議だと感じることは釣り場にとどまらなくなりました。

魚のこと、ルアーのこと、水の事、人のこと、草木のこと。
働くこと、芸術のこと、お金のこと、政治のこと、言葉のこと。

ここまで私を連れてきてくれた魚釣りとブラックバスに感謝をこめて。



  2012.01  六度九分  行友 光

 

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